取材メモ 出版業界表裏 1 /ゼロイン・コラム

サバイバル時代に入った出版業界、古い体質から抜け出せるか?
言論の自由と出版社の取材対応

長岡義幸 on zero-in

 大学でメディア論を教えている知人が「映画やアニメなどをケーススタディにしてコンテンツ産業のしくみを教えるのは、必要なデータが公開されているので、困ることはない。でも、出版業界は、なかなか具体的な数字を出したがらないから、難しいんですよ」と嘆いた。知人はいくつかの出版社で編集者としての経験があり、出版業界の内情をよく知っている。その彼が出版業界は閉鎖的だと言うのだから、説得力がある。私は違う印象を持っていたので、「そうなのかなあ」と反論したのだけれど。
 そもそも出版は、言論・表現の自由によって成り立つ産業だ。他者を取材し、論評や批評・批判をするということは、自らも取材されたり、批評されたりするという覚悟がなければならないはず。そのことに意識的かどうかは別にして、たいていの出版社は外部からの取材を受け入れ、それなりに情報公開をしていると認識していた。稀に、取材に応じない出版社があるものの、そういう企業は、出版の自由に無自覚だったり、後ろ暗いことがあったりと、何らかの問題を抱えているのが常だ。
 だが、知人の嘆きを聞いて、しばらく前に、不可解な対応をした出版社があったことを思い出した。
 話題になっているベストセラーの発行部数を記事で触れようと思い、電話で出版社に問い合わせた。部数だけなら、公称部数か実際の印刷部数かはどうあれ、どこの出版社もフランクに答えてくれるものだ。ときには実売部数まで教えてくれる。ところが、そのときは違った。回されたのは、担当編集者でも広報でも営業でもなく、宣伝部門だった。おおむね次のようなやりとりになった。
「お教えするのはかまわいません。ただし、原稿とゲラは事前に見せてください。地の文を直すようなことをするつもりはありませんが、全体の内容を確認させてもらいます」
「えっ、部数を尋ねるだけなのに、関係のない部分も含めた記事全部を見せなければならないのですか。部数に触れた部分を抜き出すして、そちらに確認をお願いするぐらいなら、かまわないのですが」
「ときどき間違った記事を書かれてしまうことがあるので、どこの取材でも、同じようにお願いしています。書影やカットを使うのであれば、どのようなかたちで載せるのかラフ(おおまかな割り付けイメージ)かゲラ(校正紙)も見せてください」
「新聞社の取材でも、同じような対応なのですか。あまりそういう話を聞いたことがないのですが……」
「どこの新聞社でも、見せてくれますよ」
 面食らうような要求だった。取材先から情報提供を受けたり、コメントをもらったときに、事情に応じて、その部分を確認してもらうのはやぶさかではない。勘違いによるうっかりミスを防いだり、正確な内容にするためには、ときに必要な作業である。しかし、単に数字を尋ねただけで、直接関係のない部分まで見せろと言われたのは、はじめての経験だ。ほんとうに新聞社も見せているのだろうか?
「御社のホームページには、しばらく前の部数を掲載していますが、公開情報を使うにも、事前に断りを入れて、書かなければならないんですか。おかしいのではないですか」
 こう質問すると、少し沈黙して、「待ってください」という返事が返ってきた。上司に相談したのだろうか、しばらくして、こう言った。
「こうして問い合わせを受け、記事のなかで部数に触れると聞いてしまったので、やはり原稿を見せてもらいます」
「直近の正確な数字を記事に反映したいと思って、お尋ねしただけなんですよ。公開情報だけで書くこともできるんですよ」
「それはそうですが……。記事にするときには、みなさんに同じようにお願いしているので」
「書評でも同じことを言えるんですか。『書評を書きたいのですが、かまいませんか』と、事前に発行元にお願いして、原稿を見せなければならないんですか。そんなことはあり得ないでしょう」
 こう言っても、同じ答えが続き、埒が明かない。
「しょうがないので公開情報だけですませます。それでも原稿を見せろとは言わないですよね」
 相手は「ちょっと待ってください」と言って、再び誰かと相談しはじめた。その答えは、「わかりました。今回は仕方がありません。しかし、掲載誌は送ってください」というものだった。
 宣伝部門が自社の出版物の見せ方に気を使うのは、まあわからないでもない。上場企業なら、インサイダーにならないように、情報管理をすることもあるのだろう(ただし、この出版社は、上場企業ではない。原稿を見せれば、教えるというのだから、インサイダー情報でもないようだ)。とはいえ、たかが発行部数を尋ねただけなのに、出版社らしからぬ不自然な対応ではあった。
 実は、以前、この出版社とは、書き手としてつきあいをさせてもらったことがある。インタビュー記事では、取材をさせてもらった当人にアカ入れ(校正)をしてもらった。しかし、他の記事では、短いコメントであっても、原稿の全文を取材先に確認してもらわなければならない、などと編集者が指示するはずもなかった。当たり前だ。
 言論の自由によって成り立つ産業なのに、外部に対しては“事前チェック”もどきの要求を常態化させているのならば、出版社としての姿勢が問われるのではないか。電話口で、そうも話したのだけれど、たぶんその意味はまったく伝わらなかったようだ。知人が話していたように、一部の出版社のせいで、秘密主義の業界だと外部に思われてしまったのでは、あまりに恥ずかしい。
 他社はどうだろうか。最大手出版社には広報窓口があるが、基本的にはそれぞれの担当部署に取材を申し入れ、現場が対応するのが慣例だ。広報部門の責任者は、週刊誌の元編集者が就くことが多く、取材をする/されるという関係をわきまえているという印象だ。2番手、3番手の出版社は、広報を通じて取材を申し込み、それぞれの担当者につないでくれるというしくみになる。某老舗文芸出版社には、広報部門さえなく、直接、担当者に取材を頼めばいい。規模にかかわらず、取材対応はだいたいこんなものだ。一般企業なら、危機管理的に対応するところも多いのだろうけれど、取材が容易なのが出版業界の“美風”だと思ってきた。だからこそ、前述の出版社には、奇異な印象がぬぐえない。
 ちなみに、同じメディア産業である新聞社の場合、正面取材をしようとすると、出版社の対応とはだいぶ違う。全国紙のほとんどは、窓口となる広報部門が事前に質問事項を文書で送るように求めてくる。その質問に、文書で回答するというのが一般的だ。責任者や担当者に直接話を聞こうにも、ハードルが高い。企業や官庁に対して情報公開を要求する記事を載せているのに、自らのこととなると別物なのかと思わされることも再々だ。
 それにしても、前述の出版社にとって発行部数というのは、検閲まがいのことをしてまでコントロールしなければならないほどの重大情報なのだろうか。すでに、書店のPOSデータの集計によって、実需たる実売部数をほぼ正確に把握する手段が存在するのに。その点だけは、いまだに謎のままだ。

(この欄では、取材活動のなかで見聞きした“雑事”を通じて、出版業界の「オモテとウラ」を綴っていきます)



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