医療の焦点 8 /ゼロイン・コラム
油井香代子 on zero-in
医療現場を取材していると、患者だけでなく医療側にもメリットのある治療がなかなか普及せず、なんともったいないと思うことが多々ある。法律や従来の医療常識をほんの少し変えたり、発想の転嫁をはかれば、今よりはるかに効果的で経済的にも無駄がない医療ができるのに、法律や部位別で細分化した医療制度、専門分野別の縄張り、診療報酬上の規定などが、それを阻んでいる。
その最たるものが歯科医療。歯科は口の中だけの健康を保つ医療と思われがちだが、実は、心身に与える影響が極めて大きい「全身の健康を保つ医療」なのだ。ところが、現在の医療制度では、歯科は極めて限られた範囲でしか医療行為が許されていない。医療費の配分の上でも、医科の1割にも満たない。医療全体の中では「マイナー」な地位に甘んじている。
そのせいか、マスコミに取り上げられる医療情報は圧倒的に医科に偏っている。たとえば、メタボリックシンドロームが心筋梗塞や脳卒中のリスクを高めることを知っていても、歯周病が心臓病や糖尿病、肺炎、早産などのリスクを高めることを知らない人は多い。
最も大きな課題となっている高齢者医療でも然り。一般的に、高齢者医療費は際限なく膨らみ、寝たきりや認知症になった高齢者が増加し、社会の負担はますます大きくなるといわれている。しかし、こういった未来図は、従来の医療中心の発想によるところが大きい。視点を変えて、高齢者医療を歯科・口腔ケア分野からみると、高齢者医療の姿はだいぶ違ってくる。
これまで歯科・口腔ケアに関する様々な研究や調査で、歯科医療・口腔ケアを充実させ、診療範囲をもっと広げると、医療費の節減につながるだけでなく、高齢者の健康、QOLを大きく改善できるという明確な事実がある。このことは歯科の分野では20年も前から言われていた。しかし、医師の間ではあまり知られておらず、マスコミに取り上げられる機会も少なかった。
具体例をあげよう。阪神淡路大震災の直後、避難所で多くの高齢者が肺炎になり亡くなった。当初、その原因はストレスや寒さなどと言われたが、実はそれにも増して大きい原因となったのが口腔ケア不足と義歯(入れ歯)を無くして噛めなくなった高齢者が増えたことだった。当時、被災者の医療活動を行っていた神戸市立西市民病院歯科口腔外科の足立部長によると、避難所では口腔ケアが十分できず、口腔内細菌が肺に入り誤嚥性肺炎で死亡する高齢者が増加したという。さらに、義歯を失い物をかめないことによる嚥下障害も拍車をかけた。
ちなみに、肺炎は70歳以上の高齢者の死亡率第一位で、うち、誤嚥性肺炎が占める割合は60%という報告がある。誤嚥性肺炎の防止で最も効果的なのが口腔ケアだ。普通の歯磨きに歯科衛生士による専門的なケアを行えば、肺炎の発症率は半分に減らせるという報告もある。早くから、うがいや歯磨き、義歯の洗浄などの口腔ケアを徹底させれば、高齢者の肺炎を予防することができる。肺炎を防止できれば高齢者の死亡は減るし、肺炎の治療にかかる医療費を節減できることになる。しかし、多くの医療現場や介護現場では、口腔ケアの重要性が認知されていず、誤嚥性肺炎を繰り返す高齢者も多い。
さらに、高齢者の死亡率が高いインフルエンザも、口腔ケアで予防できるという報告がある。やがて来る新型インフルエンザの対処法としても、注目に値する。奈良県の歯科医師会の調査では、介護福祉施設で歯科衛生士が高齢者に対し、ブラッシング指導や舌みがきを実施したところ、通常の歯磨きよりインフルエンザ発症率が10分の1に激減したという。インフルエンザ予防には「手洗い、うがい、マスク」とされているが、ここに「口腔ケア」が入れば、さらに効果が高まる。何といっても口腔ケアは手軽でコストがかからない。ワクチンやタミフルといった薬だけに依存する発想を少し変えればすむことだ。
まだある。九州歯科大学の調査では、咀嚼機能つまり噛む力が低下した高齢者は、脳卒中や心筋梗塞になるリスクが高くなるという。このリスクはたばこよりも高く、禁煙するよりしっかり噛めることのほうが重要ということになる。さらに、最近各地で行われている残存歯と健康の調査でも、歯が残っている人ほど健康で、その結果、医療費が低くなるという結果が次々に報告されている。
それだけではない。歩行ができずに車いすだった人が、合う入れ歯を入れたら、自力で歩けるようになった。医師から認知症と診断されていた人が、入れ歯を入れたら記憶力が戻り、しっかりと話せるようになった。口から食べずに栄養点滴で生きながらえている人が、入れ歯を入れて噛めるようになったら起き上った。高齢者を診察している歯科医は、こういった事例を数多く体験している。介護現場に歯科医療が積極的にかかわることで、驚くほど大きな成果が上がることを示している。にもかかわらず、このことがなかなか社会に浸透していかない。
その理由の一つに、介護現場や医療現場に、歯科医や歯科衛生士が必ず参加するという仕組みになっていないからだ。もし、医科と歯科、介護が一体となったチーム医療のシステムが出来上がれば、寝たきりの高齢者や要介護度の高い高齢者は、今よりずっと減らせるし、誤嚥性肺炎で亡くなる高齢者も半分になるだろう。その他にも、糖尿病の改善や心臓疾患、脳卒中、動脈硬化の予防や改善にも、同様のことが言える。
新しい技術や高額な医療機器を導入することなく、それほど金をかけることなく、制度を手直して、いまある医療資源を有効活用することで、患者にとってより良い医療が実現できるのだ。
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